色んな“ありがとう”が、いつしか介護のやりがいに――。高校中退の後悔を乗り越え、児玉智之が「利用者様の支えになる」という目標を見つけるまで


こんにちは! あきた創生マネジメント代表の阿波野升壱(あわのしょういち)です。

4回目となったスタッフ紹介ブログ。今回は、高校を中退してから飲食店でのアルバイトを続けていた中、意を決して当社の求人に応募をしてくれた児玉智之です。

根っから優しさが表情からも伝わるように、他人にも、自分にも優しいのが児玉くんの『らしさ』かと思っています。私はその部分が大好きです。本当に素直で頑張っている姿に、私もついつい応援しちゃう存在です(笑)。これからは一家の主人として、家族を守っていくためにも、今まで以上に努力して、成長してくれるものと信じております!

ヤンチャな時期を過ごした自分を後押しした言葉

初めまして! ショートステイ輪で介護職員をしている児玉智之です。

私は生まれてから26年間、能代市に住む地元が大好きな「能代っ子」です。姉の影響で毎年8月に行われるお祭り「能代七夕」が大好きになり、今では『正流会』という演奏チームで笛も吹いているほど。冒頭の写真も施設のイベントで笛を吹いた写真です。

私が介護に興味を持ち始めたのは18歳のときでした。グループホームに祖母がいて面会をしに行くと、日々の様子を笑顔で話す姿がそこにありました。数年1人暮らしをしていたのですが、職員や同年代の方と交流することに楽しさを覚えたようです。

「なかなか部屋が覚えれず、職員の方がぬいぐるみを置いて分かりやすくしてくれた」と笑顔で話していたのが印象に残っています。そんな姿を見て、「自分もこんな笑顔を引き出せたら」と思い、「介護の仕事に就きたい」と口にするようになっていました。

しかし、私は中学3年の終わりから勉強よりも遊びを優先してしまい、介護という仕事から遠ざかることになります。人と違うことをしているのをカッコイイと勘違いし、いわゆるヤンチャな時期を過ごしましたね(笑)。高校を半年で中退してしまい、中退後も飲食店でアルバイトをして過ごしました。「介護をしたい」という思いはありながら、「中卒の俺には無理だ」と思ってしまい、なかなか一歩を踏み出せないまま2年という月日が過ぎました。

そんな私に転機が訪れたのは、20歳のときにSNSで「介護をやりたい人はいませんか?」と友人が投稿しているのを見たことです。ダメ元で「やってみたい」と投稿し、紹介してもらったのが代表の阿波野でした。具体的な会話は覚えていないのですが、「学歴がない自分には無理だ」と後ろ向きになっていた自分の気持ちを、「そんなの関係ない」と一言で軽く吹っ飛ばし、背中を押していただきました。このときの光景は今でも覚えています。

色んな場面の笑顔がいつしか「介護のやりがい」に

介護という仕事は、「人間関係が難しい」「排泄介助なんて無理」「給料が安い」という言葉をよく聞きます。私自身も働き始めた当初はコミニケーションがうまくとれず、職員や利用者様に話しかけるのですら恥ずかしさが出てしまう状態でした。先輩に何を聞いたらいいかもわからず、話しかけられるまで自分も話をしなかったと思います。また、オムツ交換などの作業も思うようにできず、「自分には向いていないな」と悩む場面が多くありました。

ただ弱音ばかり言ってられないと思い、まずは介護の知識を「知る」ことから行動してみました。内部研修や会議に必ず参加しただけでなく、外部での講演会や集まりに参加し、介護の技術面や言葉の大切さを知っていきました。習ったことを現場で試し、オムツ交換や移乗介助が少しずつできるようになっていくのが嬉しく、仕事が楽しくなっていったんです。

仕事が楽しくなると、気持ちの余裕も生まれるようになりました。特に印象深かったのは、「ありがとう」という言葉を感じれるようになったことです。それまでも言われていたかもしれないのですが、余裕のなかった自分に聞こえていなかったと思います。

簡単な言葉ではありますが、「大変」「辛い」という気持ちしか頭になかった自分を助けてくれた言葉でした。それからは私も「ありがとう」の言葉を使い続けていますし、色んな場面の笑顔がいつしか自分の「介護のやりがい」に変わってきました。

今は介護福祉士の資格をとることを目標に勉強を頑張っています。資格をとって介護リーダーになり、利用者様や職員の支えになることが目標です。以前は、気持ちの上がり下がりがあり、仕事に力が入らない時期もありました。私生活のことも代表に相談させてもらい、元気とやる気をもらうなど、周囲に協力によって今の自分があると感じています。また、「支えになりたい」と思うようになったのは、施設の中で利用者様の看取りを経験したこと、そして自分の家族が増えたことがきっかけとなりました。

我が家には現在9カ月となる男の子がいます。その子が将来笑って暮らせるよう、妻と協力しあっていきたいと思っています。仕事も私生活も、自分1人で成り立ちません。周囲と協力し合い、「関わる人の良い笑顔が見たい」と思い、この目標が生まれました。

最後になりますが、今のショートステイ輪は「利用者様や家族様の気持ちに寄り添う」ことが少しずつ形となってきています。これは、お互いの良さや弱さを認めあいながら、協力し合える環境が生まれているからこそ可能になったと思います。きっと写真や文章では伝わりきらない現場の雰囲気もあるので、ぜひ私の大好きな能代市まで遊びに来てください!

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